政治的人間の記録 ─武田泰淳の『わが子キリスト』 Seibun Satow 「いまだかつてユーモアのセンスのあるものが宗教を興したことはない(No man with a sense of humour ever
founded a religion)」。 ロバート・グリーン・インガーソル ローマ帝国にとって、ユダヤはやっかいな連中である。紀元前六三年、グナエウス・ポンペイウスの東方遠征によりユダヤはローマの支配下に入る。この民は内部でお互いに反目しあいつつ、他の諸勢力に何度も征服されてきたが、その都度、独自の宗教を固持し、同化を拒んでいる。自分たちは唯一の神ヤハウェと契約で結ばれていると信じ、一切の偶像崇拝を厳禁とするその宗教は周囲からはしばしば奇妙に思われていたが、彼らは意に介さない。紀元前一六七年に勃発したセレウコス朝シリアとのマカバイ戦争以来、ハスモン家の者が大祭司としてユダヤの独立を維持し、たとえ地中海世界の新たな覇者ローマに対してもそれを求めている。法律や土木工事など実用性を尊ぶローマもその地位を認めたけれども、彼らは、度々、武装蜂起を含め、激しい抵抗運動を起こし、ローマにとって悩みの種となってしまう。ローマの市民権を与えられていたにもかかわらず、時の皇帝の守護神を祀るというのが当時の宗教的慣例だったがそれに従う気などさらさらなく、すべての道はローマに通じるとは思っていないように見受けられる。この身の程知らずの無神論者をおとなしくさせなければならないと駐留軍はアイデア探している。 紀元前五八六年から前五三八年にかけてのバビロン捕囚の経験により、ユダヤ人はヤハウェ信仰をユダヤ教へと昇華させる。バビロニアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシアのキュロス二世は寛大なことで知られ、ユダヤの民に帰郷を許可する。この解放はユダヤ人に自らの信仰の正しさを確信させ、『イザヤ書』はキュロス大王を、「油を注がれた人」、すなわちメシアと呼び、次のように最大の賛辞で褒め称えている。 キュロスに向かって、わたしの救者、わたしの望みを成就させる者、と言う。 エルサレムには、再建される、と言い、神殿には墓が置かれる、と言う。 (四四章二八節) 主が油を注がれた人キュロスについて、こう言われる。 わたしは彼の右の手を硬く取り、国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。 扉は彼の前に開かれ、どの城門も閉ざされることはない。 (四五章一節) 異教徒の王であるキュロスをヤハウェがユダヤの民をバビロンから解放するために使わせたというのは、いささかおかしな話ではある。けれども、この神はユダヤ人を救う際だけでなく、罰するときにも異教徒を利用する。ジークムント・フロイトも、こうしたユダヤ教の特徴を踏まえて、『モーセと一神教』において、モーゼがエジプト人だったというユニークな仮説を示している。 ユダヤ教に見られる最後の審判や天使、悪魔、光と闇などはそのペルシアの宗教ゾロアスター教からの影響である。ユダヤ教はユダヤを母とし、ペルシアを父として生まれたとも言える。『エレミヤ書』や『ダニエル書』には、ゾロアスター教のマギ僧に関する詳細な記述があるけれども、『マタイによる福音書』が伝えるイエスの生誕をヘロデに告げる東方の三博士もマギ僧なのだが、その痕跡は残されていない。 帰郷を決心したユダヤ人はエルサレムに戻り、神殿を再建する。しかし、紀元前三三四年から一〇年間に亘るアレクサンドロス大王の東方遠征に伴い、その支配領域に組みこまれる。紀元前三二三年、突然、この若き王が病死すると、武将たちはその後継者を自称し、対立と抗争を劇化させ、その広大な国土はアンティゴノズ朝マケドニア・セレウコス朝シリア・プトレマイオス朝エジプトに三分割される。カナンは、紀元前三一二年に建国されたセレウコス朝シリアがその支配権を獲得する。 カナンを占領したアンティオス三世は無益な衝突を好ましくないとして、ユダヤに対し寛容な姿勢をとる。ところが、その後継者セレウコス四世並びにアンティオコス四世エピファネスは方針を転換する。特に、後者はヘレニズム的価値観を最高と考え、野蛮の民を啓蒙しなければならないという信念に凝り固まっている。彼はエルサレム神殿にゼウス像を建立させ、聖書を焼却、ユダヤ人たちに割礼や安息日、食物規定の禁止を命令し、逆らう者は容赦なく殺害していく。それに対して、紀元前一六七年、ユダヤ教徒は武装蜂起し、シリア軍に徹底したゲリラ戦を挑む。これに参加した戦士は敬虔主義者、すなわちハスィディームと呼ばれている。紀元前一四二年、消耗したシリア軍は撤退し、ハスモン家が王朝を開き、ユダヤ人は独立を勝ちとる。 けれども、戦後、往々にして民族解放運動や革命の闘士が陥る独善性に、ハスモン家も囚われてしまう。ハスモン家は、権力を奪取した革命勢力が内部粛清するように、かつての同志ハスィディームを追放する。神殿を牛耳るサドカイ派を味方につけるために、彼らの教条主義を政策にとり入れるが、その頑迷な保守主義に辟易とした人心は次第にこの英雄一族から離れていく。排除された勢力はパリサイ派として結集し、サドカイ派を厳しく糾弾する。時には、シリアの残党と手を組み、ハスモン家と交戦している。また、対外的には、彼らは革命思想の輸出とばかりに周辺国を侵略し、住民にユダヤ教への改宗を強制している。信仰の押しつけを拒否して抵抗運動を始めたにもかかわらず、ハスモン朝は被支配者に同化政策を強力に施行するのは、明白な矛盾であり、他民族からの反感をかい、反ユダヤの種を自ら播いたようなものである。これにより、ユダヤ教徒の数は激増したものの、新たな内部対立をはらむことになってしまう。 新たな改宗者の中に、イドマヤ人ヘロデがいる。彼はハスモン家の王女マリアンネと結婚したが、ヘブライズムを毛嫌いし、ヘレニズムに好意的な人物である。抜け目のない政治的な彼はローマの政局を巧みに利用しながら、ライバルを次々と蹴落として、紀元前三七年、ローマ公認の下、ユダヤの王の権力を掌握する。これに伴い、ハスモン家及びそれに近い者たちをすべて粛清していく。父を殺さなければ、子は王にはなれない。 一九六八年、武田泰淳は、この何かと反抗的なユダヤ人に手を焼いたローマは支配をスムーズに進めるために、新たな傀儡の指導者を必要とし、高度な政治的判断により選ばれたのがイエスだという大胆な解釈を一編の小説を通じて提示する。しかし、彼はさらに驚愕の仮説をそこに書き記している。 とにかく、あのユダヤ女マリアにお前を生ませた御当人は、ほかならぬこのローマ男、ユダヤ進駐軍兵士のおれさまなんだからな。 マリアは処女懐妊したのではなく、イエスの肉の父は、実は、ローマの百人隊長だという驚くべき秘密を『わが子キリスト』は告げるのである。 イエスの父に関する推測の提起は、言うまでもなく、この小説に限ったことではない。イスラムでは、マリアの処女懐妊に関して、彼女は不妊症で苦しんでいたのであり、にもかかわらず妊娠したということが奇蹟なのだと解されている。なお、禁断の知恵の実を食べたため、アダムとエヴァがエデンを追放されるが、そんなことまでした人間たちをお許しになったもだとして神の慈悲深さを表わすエピソードと理解されている。この解釈の変更は、ユダヤ教では「神を怖れよ」が、イスラムにおいては「アッラーを讃えよ」となっている点を端的に表わしている。 泰淳の仮説は必ずしもスキャンダラスではないし、また、反ユダヤ主義を弁護しているわけでもない。キリスト教の成立と成長にはユダヤとローマの両方が不可欠である。この設定はキリスト教がユダヤを母、ローマを父として生まれたという比喩としても読める。 泰淳の新たな聖書解釈はヘロデによる「子供狩」にも及ぶ。主人公の「おれ」、すなわちローマ軍の兵士の口を通して、それについて次のように語られている。 おれたちの子供狩の目的は、蕃族の子供たちを絶滅することではなくて、永久に蕃族のみじめな一員として一生をおわるにちがいない不幸な子供たちの中から、わが文明帝国ローマ(それこそ世界を動かす中心であらねばならぬ)へ連れて行って、蕃族の垢やけがれをすっかり洗い流し、文明人の仲間入りできる優秀な子供をえらび出すことにあるのだ。殺されるより選ばれる方を好むのが、親の人情であるからには、この平和的で寛大きわまる「子供狩」の方が、彼らのでっちあげた伝説や予言より、はるかに魅力的なものとして、しみじみと感得されることは,大いにありうることなのだ。 ヘロデが「子供狩」を命令したのではなく、ローマ占領軍が独自に行ったのであり、しかも、それは「水晶の夜」ではない。ローマ的価値観に基づいて、ユダヤ人を統率する指導者となる見込みのある子供を選び出し、本国に送って英才教育をするのが目的である。ヘロデは問答無用の独裁者ではなく、ローマを後ろ盾に権力を行使していたのであって、進駐軍の意向を無視して独走することはできない。むしろ、この「子供狩」はローマがポスト・ヘロデを見越した上でのミッションである。 それはオーストラリア政府が実施した「盗まれた子供(Stolen children)」政策の前例とも言える、オーストラリアでは、一九一〇年頃から七〇年にかけて、アボリジニを白人社会に同化させるために、各地でキリスト教の伝道所が建設され、アボリジニの子供たちを強制的に寄宿舎に入れて、同化教育を行っている。この対象者は「盗まれた子供たち」と呼ばれている。 実際、ヘロデが亡くなったのが紀元前四年、イエスの誕生は紀元四年とされているのだから、その命令を死者が下せるはずがそもそもない。ヘロデは、確かに政治的な父殺しのために血族や司法関係者の多くを暗殺したが、聖書に描かれたような嬰児狩りを行っていない。彼はローマ政界の変化を利用し、ハスモン家に代わり、ユダヤの王を称して、四六年間もこのカナンを統治している。彼はユダヤ人による史料では激しく糾弾されているが、開発独裁のスハルトやフェルディナンド・マルコスのように捉えるべきだろう。宗主国ローマとユダヤの民衆要求のバランスを巧みにとろうとし続け、繁栄をもたらしている。独裁者は権力闘争をしぶとく生き残ってきた経験があるため、概して、外交に長けているものである。グレコ・ローマン風の建物を建設させる一方で、エルサレムの神殿をソロモン王以来の大改築させている。ヘロデは、ローマの協力者(Collaborator)として、いわゆる協力者のジレンマに陥らないように苦心していたが、先の権威主義的指導者たちがそうであったように、民衆からの支持は最後まで得ることはできなかったものの、政治手腕は決して低くはない。 けれども、ヘロデ式手法がいつまでも続けられるものではない。アメリカが横暴で民衆から不人気だったゴ・ディン・ディエムを見限った後、南ベトナムでは、クーデターが一三回、内閣交代が九回と頻発している。ローマとしても、ヘロデの死後、こうした政治的混乱を避けなければならない。 「子供狩」はローマの占領政策の方針転換を意味している。それは、軍事力を中心とした押さえ込みから、教育を通じたイデオロギーの内的浸透による自発的な従属への認識変更である。ユダヤ属州の支配の長期化を睨んだ場合、ローマにとっては、ハード・パワーよりソフト・パワー重視の方が得策だろう。 この「子供狩」の過程で、「おれ」は三歳ぐらいの男の子を抱いたマリアと再会している。マリアも夫のヨセフもその子を「神の子」と呼ぶが、「おれ」は自分の子であると確信する。事情を知らない部下がその子を連れて行こうとするのを「おれ」は、「決してつまらんことではないと感じはじめ」、押しとどめ、その場を立ち去っている。 それから二〇年以上も経った後、「おれ」は三度目のユダヤ駐在を命じられる。しかし、その属州は一度目のときの「三倍」も状況が悪化している。と同時に、あの子が、今や、「神の子としての、ほんものの予言者としての、まちがいのない精神的指導者らしき男」という評判が高まっているのを知る。 当時のユダヤ属州は分裂し、混迷を極めている。何が起きてもおかしくないという状態である。 バビロン捕囚が終わった後も、ペルシア帝国領内にとどまるユダヤ人も少なくなく、また、エジプトや小アジアなど各地にユダヤ・コミュニティが形成されている。彼ら、すなわちディアスポラ・ユダヤ人はヘレニズム文化と出会うことになる。この異国のユダヤ人たちはヘブライ語を解さないものも多く、アレキサンドリアで、ギリシア語訳聖書『セプトゥアキンタ』が編纂されている。ギリシア語は、当時、地中海世界で広く使われていたため、ユダヤの聖典に初めて接した異教徒の中からユダヤ教への改宗者が続出する。反面、ユダヤ教は高度に発達した体系的な自然哲学に触れ、急速に洗練されて、抽象的な思想へと展開していく。けれども、こうしたユダヤ教のヘレニズム的概念による説明は、次第に、ユダヤ教のアイデンティティを危うくする。セレウコス朝シリアとの抗争も、元々は、ヘレニズムとヘブライズムの対立が一因である。紀元一世紀前半、アレキサンドリアのフィロンはユダヤ教をプラトン哲学によって再構築しようとし、「神はロゴスによって世界を創り、ロゴスをもって姿を現わし、ロゴスをもって人と交わる」と唱えている。この説はあまりにヘレニズム的であり、一般のユダヤ学者には受け入れられるものではない。その後、ローマ帝国による弾圧のため、アレキサンドリアのユダヤ・コミュニティは事実上消滅したが、フィロンの意見が『ヨハネによる福音書』の冒頭部分に影響を与えたように、ヘレニズム的ユダヤ教はキリスト教に引き継がれていくこととなる。 こうしたユダヤ社会の多様化は内部での厳しい対立を招いている。紀元一世紀頃、神殿が破壊される前のエルサレムでは、フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ戦記』によれば、サドカイ派とパリサイ派、エッセネ派の三大勢力が争っている。特に、サドカイ派とパリサイ派はユダヤ・コミュニティの自治機関であるサンへドリンを支配し、お互いに一歩も譲らない。これは大祭司を長とする七〇人から構成され、議会であると同時に、最高法院廷の機能も果たしている。特徴的な点としては、満場一致の議決は無効とされることがあげられる。背景や利害が異なっている人が集まっているのに、全会一致となったとすれば、一時的な感情に流されたか、裏でグルになっているかのいずれかだと考えられるからである。この原則が破られたことが一度だけある。それはあのナザレの男を査問したときである。 サドカイ派の支持者は支配者階級と結びついた神殿貴族や富裕商人である。彼らは神殿での犠牲祭儀を重視し、書かれた法、すなわちトーラーにのみ規範の根拠を認める。魂の不死や肉体の復活を律法にその記述が見たらないという理由で斥けているように、現世肯定主義であり、社会秩序に関しては現状維持を望み、ローマとの関係は妥協やむなしという保守派である。一般民衆からの評判は芳しくない。 一方、パリサイ派は、時代の変化を考慮し、トーラーのみならず、口伝律法にも権威を容認する。律法を柔軟に解釈し、ユダヤ教を新しい社会に適応させることを志向する。パリサイ派は、後に、イエスから激しく批判されたため、律法を金科玉条にする教条主義者あるいは排他的で狭量な形式主義者と見なされることもあるが、実際には、イエスの教えに近い。また、神殿だけでなく、シナゴーグを重要視している。ラビはトーラーの解釈者であると同時に教師であり、シナゴーグはその律法を教育する場所である。こうしたパリサイ派は一般民衆から秘録支持されている。 ただし、両者共その出自がハスィディームであり、ヘブライズムの純化運動である点は共通している。パリサイ派の拡大解釈路線は、硬直した態度をとり続ければ、時代遅れあるいは社会の実態に適合しないとして律法全体が無視され、異教的な教えにユダヤ教が乗っ取られてしまうことへの防御策にほかならない。実際、彼らは呪術や瞑想、神秘主義体験などをヘブライズム的ではないとして排除している。 第三の勢力エッセネ派は熱狂的なメシア待望論者である。彼らは光と闇、生と死、善と悪、正義と不正などの二項対立が激化していき、その果てにメシアが到来し、光の側に勝利をもたらすという終末観を信じている。僧院を築き、それを本部としたネットワークを形成し、伝統的なユダヤ社会とは一線を画す。彼らは自分たちこそ神との新しい契約、すなわち新約を結んでいるという強烈なエリート意識を抱き、それ以外の宗派を旧約の徒と批判している。 『わが子キリスト』では、エッセネ派に関する記述はない。その代わりに、顧問官の暗殺を企てる熱心党の言及がある。このグループも、エッセネ派同様、メシア待望論者の一種であり、宗教的熱心さから民族独立を志向するセクトである。ゼーロータイと呼ばれる彼らは目的のためには手段を選ばず、テロリズムさえ辞さない。メシア主義を標榜する無数のセクトやコミューンがあったが、その構成員は、概して、少数にとどまっている。メシア待望論者の中で有力という点では、エッセネ派の方が上であり、三派対立として当時のエルサレムを捉える場合、エッセネ派を代表格とすることは妥当である。 メシアは、元々は、宗教的預言者に限定されてはおらず、サウルやダビデ、ソロモンといった世俗的な政治権力者もそう呼ばれている。当初、メシアはダビデの家系に限定されていたが、キュロスがメシアと扱われているように、その資格は拡大されていく。終末論や救済願望といった黙示思想が盛んなのは、紀元前二世紀から紀元二世紀にかけてであり、ユダヤ教徒がセレウコス朝シリア及びローマによる過酷な圧政下に置かれている時期と重なる。 このメシア信仰と深く結びついているのが「復活」である。のうのうと悪人がのさばっている反面、善人が彼らに殺されていく。『ダニエル書』はこの不条理さに対して「復活による神の裁き」を提起する。神はすべてのものを復活させて、裁きを下す。その際、よき人は永遠の生命を与えられる。 夜の幻をなお見ていると、 見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り 「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み 権威、威光、王権を受けた。 諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え 彼の支配はとこしえに続き その統治は滅びることがない。 (七章一三―一四節) 彼はいと高き方に敵対して語り いと高き方の聖者らを悩ます。 彼は時と法を変えようとたくらむ。 聖者らは彼の手に渡され 一時期、二時期、半時期がたつ。 やがて裁きの座が開かれ 彼はその権威を奪われ 滅ぼされ、絶やされて終わる。 天下の全王国の王権、権威、支配の力は いと高き方の聖なる民に与えられ その国はとこしえに続き 支配者はすべて、彼らに仕え、彼らに従う。 (七章二五―二七節)
結局、この三派対立は、神殿の破戒によるユダヤ人の離散と共に、終わりを迎える。彼らの間でパリサイ派のユダヤ教が受け入れられ、サドカイ派は消滅する。また、エッセネ派などのメシア待望論セクトはローマに対するユダヤの抵抗運動に加わり、壊滅している。現在にまでつながっているユダヤ教はこのパリサイ派の流れをくむものである。 この不穏な空気漂うユダヤ属州を親ローマ的にし、支配を容易にするために、ローマ駐留軍の最高顧問官は、ユダヤ通との評価の高い「おれ」を呼び、次のような秘策を打ち明ける。 「もしも、ユダヤ人どもの中に、たよりになる指導者が一人でも存在するならば、連絡してそ奴をわれらの意志どおり動かし、ユダヤ人どもをわれらの意志どおり支配することができる。もしも、その指導者がわれらの命令にしたがうことを拒絶するならば、われらはそ奴を消してしまえばよろしい」 と、顧問官殿はおごそかに言われた。 「ただし、たよりになる指導者が彼らのあいだに一人として見出されず、ただただ、信頼しても信頼しなくても結果は同一になるていの、うぞうむぞうの親分衆のみが、ユダヤの民の上層部としてむらがっているのにすぎないとするならば、われらはいかになすべきであるか。強力なる指導者を失った彼らの仲間うちが、そのためどのように乱れに乱れようとも、われらは喜んだり悲しんだり気にかけたりする必要がないが、その乱れ方がある一つのけしからぬ方向に傾き、それによってわれらの勢力が損害をうけぬようにするための警戒はおさおさ怠ってはならぬ。警戒するだけでは足りぬ。むしろ、積極的にこちらの好む方向へ、奴らの乱れを導いてやある明確な方針、策絵約を打ち出さねばならぬ。つまり乱れに乱れる奴等のまっただ中に、ハッシとばかり強靭なる杭を打ちこみ、それにわれらの太い手綱をゆわえつけねばならぬ。その杭とは何か」 怪鳥のくちばしの如く突き出した最高顧問官殿の鼻の両わきで、穴の如くおちくぼんだ両眼がらんらんとかがやきはじめるので、おれはかしこまざるを得なくなる。 「べたべたとわれらにねばりつく妥協主義者。もうけ仕事にはぬけ目のない密偵、内通者、裏切者。古くさい権威を看板にして、どうやら小グループの声名を保っている旧式小頭。それらは、とても丈夫と保証できる『杭』にはなりえぬのじゃ。わしらは、いいかな、最新式の政治学の尖端を行くわしらは、今までとは全く種類のちがった、今まではとても指導者とは思われなかったような、斬しんなる『指導者』を奴らの中から発見せねばならんのじゃ」 「そんな者が、発見できますでしょうか」 「発見するということは、つまるところ、育てあげ製造するということなのだ。まぼろしの指導者、まぼろしの予言者、部落民どもの夢とねがいの根源をなす『力』を、奴らにかわってわしら自身の手で、彼らの目の前にありありと出現させてやるのだ」 ユダヤ属州は、ローマから見れば、極めて小さく、経済的・軍事的にも必ずしも重要ではない。けれども、ローマはユダヤ属州の問題をドミノ理論として認識している。ユダヤ属州の反乱を押さえこめなければ、他の諸民族もローマを恐れなくなり、独立運動の火が各地に飛び火する危険性がある。見せしめという意味でも、ローマはユダヤに断固とした態度で臨まねばばならない。 この「杭」として誰か適任者がいないかと尋ねられた「おれ」はイエスを推薦する。顧問官もすでにイエスに目をつけていたため、プランBを考えることもなく、その案は了承される。イエスのキリスト化計画、すなわちパイル・プロジェクトがこうして隠密裏に始まる。 最高顧問官は「奴隷の身分から、奴隷をこき使う上層部にまではい上がった」。被支配者から支配者になりあがったため、支配=被支配の力学・心理学に精通している。イエスの教団にスパイを忍ばせて、情報収集させながらも、「おれ」にはイエスの肉親との接触にとどめさせ、預言者に直接関与することを禁じる。大国による傀儡があからさまな政権は、新しく現われても、民衆から支持されない。アメリカ政府は、CIAを使って、イランのモハンマド・モサッデク首相を失脚に追いこみ、チリでサルバドール・アジェンデ大統領をクーデターで死に至らせたが、その後に登場した親米政権が民衆の心をとらえて放さなかったとは言えない。むしろ、非人道的な手段で反対派を弾圧し、売国奴や人殺しと罵られてさえいる。イエスはローマの指示通り動いているわけではない。むしろ、イエスにローマは何ら要求を出していない。ローマとしては、監視下に置きながら、イエスを自由に活動させ、その言動を事後的に利用する戦術をとっている。 最高顧問間は自らイエスの言葉に手を加える。作中では、次の二つの福音書が伝える言葉が例として挙げられている。「しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬も向けなさい」(『マタイによる福音書』五章三九節)。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」(『マルコによる福音書』一二章一七節)。元来のイエスの言葉は、前者が「顔を殴られたら、だまって殴った相手から離れ去れ」であり、後者は「神のものは神へかえせ」である。しかし、これでは、顧問官にとっては、不十分である。ローマの支配を正当化させるために、イエスの言葉を脚色する必要がある。 しかし、このプロジェクトを成功させるためには、ローマ人には決定的にユダヤ人に関する知識が欠けている。イエスが「神の子」だと聞いて、「おれ」はジュピタア(ゼウス)が人間の女を孕ませた物語を思い起こしている。「おれ」がこのミッションの担当者に選ばれたのは、彼が「ユダヤ通」だからだが、ローマ人がユダヤ教を理解していないことを端的に示している。 イエスをメシアにする計画を考えている人物が、ローマ側だけでなく、ユダヤの方にも一人いる。それがユダである。彼は商人出身であったが、イエスの教えを知ると、彼の信者となり、一二使徒と呼ばれる教団の最高幹部の一人と目されている。 ユダはイエスをローマからユダヤ人を解放する政治的メシアと言うよりも、分裂していたユダヤ・コミュニティを統合する存在と考えている。既存の利害関係と無縁のイエスによってユダヤ社会はまたまとまれるのではないかと期待し、彼の教団に加わる。ユダはユダヤ経済界の次のリーダーと見なされる極めて優秀な人物である。商人や農場主にまとまるように働きかけ、神殿貴族や富裕層との調整を密かに行っており、フィクサーと呼べるだろう。しかし、実際には彼の計画が失敗に終わることは日を見るよりも明らかである。富裕層はサドカイ派やそのシンパであって、パリサイ派に近い主張のイエスを受け入れるはずもない。むしろ、イエスを擁護する主張をすればするほど、ユダは保守派の利益を売り渡す裏切者と見なされ、イエス以上に憎まれてしまう。 パリサイ派にしても、イエスの戦略的ともとれる自分たちを批難する説教を耳にしては、ユダの案には乗れない。共産主義者が社会主義者を批判し、自らとの違いをアピールするように、イエスは説教の内容自体は近いはずのパリサイ派を厳しく糾弾する。その反パリサイ派の態度を改めない以上、イエスをリーダーと認めることはできない。 エッセネ派などのメシア待望論者は意識や理念が先行しすぎて、律法の解釈を政策として練り上げ、積み重ねていくことをおろそかにしている。妥協などということは彼らにはありえない。理念を貫徹することがそのアイデンティティだからである。 最も現実的なのは中道のパリサイ派を軸に、左右の穏健派をとりこみ、過激派を孤立させることである。それはイエスを中心にして、新たなコミュニティをつくり、そちらに今の対立情況にうんざりしている人々を吸収していくことだが、かなわぬ夢である。 分裂状態を克服するのに必要なのは共通の価値観・イデオロギーではなく、共有する利害である。ハスモン朝以前のハスィディームが手を組んでいたのはシリア軍という共通の敵がいたからである。ユダは、ところが、イエスでまとまることが共通の利益につながるという理由を提示しきれない。 イエスは最高顧問官の狙い通りにも、ユダの思惑通りにも機能しない。イエスはユダヤの統合をもたらすどころか、既存の宗派勢力から憎悪の対照とさえ見なされている。イエスの殺害ないし刑死が不可避となってくる。それは、「おれ」から見ても、ユダから見ても、時間の問題にすぎない。もはやイエスは生きていることでは利用価値はない。だからと言って、今さらイエス以外の選択肢をとれるはずもない。最高顧問官はイエスを真のメシアとするために、他の預言者を間引きさせている。顧問官は預言者以外の選択肢をまだ残しているけれども、むしろ、彼の死を政治的に利用する方が現実的である。ユダは、そのためには、復活の神話が必要だと考えている。死んでも復活すれば、それでいい。一度死ねば二度と死ぬことはない。復活はイエスの最後の奇蹟であり、誰にも起こせなかった奇蹟であり、それによって彼は世界の各地で語り継がれていく。 大方の予想通り、イエスは捕らえられ、十字架刑が決定される。おまけに、イエスが拘束される際、ユダ以外の幹部たちは自分の命惜しさに逃げてしまう。トップが不在になり、しかもユダを除く幹部全員がリーダーを裏切っていなくなってしまっては、この組織の存続は風前の灯である。教団を救済するためにとりうる方策は二つある。一つはユダ自身がトップの座につき、一から組織を再建する道である。しかし、ユダにはイエスのようなカリスマ性はないし、フィクサーとして動いていたように、あまりにも色がつきすぎている。いい組織には、顔となるリーダーと堅実な調整役が要るものだ。もう一つは幹部を免責できる理由を見つけ、彼らの集団指導体制で組織を立て直す道である。ユダは後者を選ぶ。自分自身を最大の裏切者に仕立て上げ、幹部の責任をすべて被る。彼はあくまでもフィクサーとしての役割を貫き通していく。 その上、巷もユダが裏切者として死ぬことを次のように願っている。 イエスを憎んでいたサドカイ人、パリサイ人、熱心党、その他どの派にもぞくさない無知なユダヤ人どもが、イエスに親切にしてやるユダを憎まぬはずがないのだ。とりわけ、神殿を中心とする市場でしこたま儲けていた商人連中が、神殿の権威を否定する予言者に味方する商人ユダを、イエス以上に憎んだのはあたりまえの話さ。イエスより先にユダ本人を、十字架につけたがっていた金持ちたちもいたくらいなのだ。イエスとユダをもろともに処刑してしまうか。それができなければ、イエスにユダを裏切者として棄てさせる、あるいは、ユダが本物の裏切者になってイエスを売ってくれるか。それこそ、彼らが日夜ねらっていたうれしい結末、待ちのぞんでいた楽しき幕切れだった。イエスとユダ、新しい精神派と新しい経済派の同盟が打ちやぶられ、たがいに罵りあって分裂し自滅する呪われた日こそ、頭のはたらきのこわばった欲ぶか連中の保守主義が勝利をかちとる祝日だったのだからな。 それに、お前さんの能なしの弟子たちにしたって、自分たちの仲間の中から犠牲の子羊を一匹、裏切者として祭壇にささげておいた方が、自分たちの裏切行為の弁明のたしになると言うものではないか。 現実的に、政治には調整役や仕切り役が不可欠であるが、それには人望と経験が要る。ユダは裏切った者ではなく、裏切られた者である。人望を失った彼は、自分の置かれた状況をよく理解して、「おれ」にイエスの復活と自分を裏切者と仕立てることを依頼する。ユダがイエスの復活にこめる願いはユダヤ民族の復興である。「ローマ帝国は滅びる。滅びたら、二度とよみがえりはしない。だが、わたしたちユダヤ民族は、かならずよみがえるのだ」。「選ばれた御方が、よみがえってくださるのだ。どうあっても、その御方によみがえっていただかなければならぬのだ。その御方たった一人の復活のために、わしらは喜んで死んで行かねばならぬのだ」。ユダヤ民族主義者でありユダにとって、イエスはあくまでもユダヤ民族のメシアである。彼はイエス自身にでも、その教えにではなく、ユダヤ民族の大儀に殉じようとしている。 ユダは自殺を試みるものの、失敗し、嫌々ながら、「おれ」が介錯をすることになる。これはユダの思惑が最後まで失敗し続けたということを暗示させる。 ユダヤ属州では、イエスが十字架にかけられた後も、三度の大きな抵抗運動が起きている。第一次ユダヤ戦争(六六年─七〇年)、キトス戦争(一一五年─一一七年)及びバル・コクバの乱(一三二年─一三五年)である。ユダヤ人による最後の武装蜂起であるバル・コクバの乱の後に、ローマは属州名を「シリア・パレスチナ」に変更する。ローマはエルサレムの神殿を破壊し、わずかな少数を除いて、ユダヤ人たちはパレスチナを後に、各地へと移住していく。 もっとも、この大離散以前に、ユダヤ人の人口はカナンの外の方がすでに多い。敗戦に伴う奴隷化だけでなく、経済的理由から離れて移民するユダヤ人も相当な数を数えている。また、カナンでも、ヘブライ語ではなく、ペルシア帝国領内で広く通じたアラム語がユダヤ人たちの間で使われている。現存するユダヤ教のトーラー並びにタルムードの一部はアラム語で記されているし、映画『パッション』で描かれたように、イエスもその言語で説教している。 最高顧問官がイエスの復活に読みとの意味は、ユダとが異なっている。「意見」は一致していても、それぞれの「目的」は違う。彼は熱心党のテロにあい、死を迎える間際、「おれ」を呼び、イエスの復活を命令する。「たとえ、わしが死に、あいつが死んでも、わしのあいつに対する影響力、支配力、つまりはわしとイエスのぬきさしならぬ結びつきを断ってはならぬのじゃ」。「わしはイエスを神の子にしてやる。あの人間の子を神の子にしてやることができる。それはできるのは、わしだけじゃ。あいつの弟子どもは、あいつを愛しておる。じゃが、愛しておるだけでは何もできはせんのじゃ。イエスを復活させろ。ユダと力をあわせて、あいつを生きかえさせろ」。顧問官は支配=被支配の力学・心理学の中でイエスの復活を捉え、そこに自らの復活を見ている。 武田泰淳は、『司馬遷─史記の世界』において、政治と世界の関係について『史記』を読み解きながら、次のように述べている。 世界の歴史は政治の歴史である。政治だけが世界を形作る。政治をになうものが世界をになう。「史記」の意味する政治とは「動かすものの」ことである。世界を動かすものの意味である。歴史の動力となるもの、世界の動力となるもの、それが政治的人間である。政治的人間こそは「史記」の主体をなす存在である。(略)人間が世界の中心となり、分裂する集団となり、独立する個人となるためには、政治的人間にならなければならない。政治的人間としてとりあつかわれた人間だけが、歴史の舞台に於て、一つの役目をもつことができる。そして役目をもたされた人物として、歴史劇に出場することを許される。かくして、この人物は、あの人物と関係をもち、この役は、あの役と連絡し、そして「史記」全体ができあがるのである。「史記」を書くためには、まず人間を政治的人間としてとりあげる手段を発見しなければならない。このことによって、世界を考える道がひらけ、全体を組織だてる要素を集める道がひらけるのである。 しかしながら、「動かすもの」とは何であろうか? 世界を動かすものとは何物であろうか? 「政治的人間」とはそも何者であろうか? その動力は何処に発するのであろうか? 「動かすもの」は人間である。世界を動かすものは人間以外にない。政治的人間もまた「人間」である。その動力は何処からでもない「人間」から発するのである。それ故、世界の歴史を書き、歴史全体を考えようとするものは、まず「人間」をきわめなければならない。 政治的人間はたんに権力関係の力学・心理学を熟知し、利用できるだけでなく、与えられた「役目」を演じきれる覚悟と能力を持つものである。政治において、アイデンティティは心理的なものではない。自分自身を抑え、社会的・時代的に与えられた「役目」を演じきれることである。 最高顧問官やユダは、明らかに、政治的人間である。しかし、一見したところでは、そうでないけれども、マリアの夫ヨセフも政治的人間の一人である。彼はイエスの最後の晩餐に姿を見せていない。「それは、大工ヨセフは無かった男であり続けることに、満足をおぼえ、そうなることを一生の目的にしたからではないのか」。ヨセフはイエスを「有った男」とするために、自らを「無かった男」とすることを受け入れる。納得しているかどうかは別として、自分の「役目」を演じきる覚悟を持ったとき、彼は政治的人間とてなる。 『わが子キリスト』は、イエスを「有った男」とするための「無かった男」の記録である。彼らは決して存在せず、これからも存在しない。『ミッション・インポッシブル』の任務を伝えると自動的に消滅するテープのように、「役目」を終えたら、ただ消え去るのみだ。たんに「有った男」と「無かった男」が二項対立して物語が展開しているのではない。 一度決まってしまった濁流のような流れを変えたり、押しとどめたりすることなど誰にもできない。自分の役割を演じきるだけである。敗者はいかにそれが不本意であったとしても、呆然としながらも、もうここまできたら、それを続けるしかない。ビル・クリントンに勝ち目がないことはわかっていても、ボブ・ドールは大統領選挙を放棄するわけにはいかない。役割を放り投げて、その場を逃げ出すことができない。また、エーリッヒ・ホーネッカーは、一九八九年、提案された自身の解任動議に対し、自らも賛成票を投じ、全会一致というドイツ民主共和国におけるあるべき姿で議決させ、国家評議会議長としての職務を全うしている。 マリアは主な登場人物の中で唯一の女性であり、不可解な存在として登場している。彼女は三歳のイエスを「神の子」と言っていたかと思うと、成人した後、「おれ」に向かって「あなたさまの子」と告げ、イエスの遺体を前にして、その復活を信じていないと伝えたりしている。マリアは自分の与えられた「役目」を演じきろうとしているとは見えない。その意味で、彼女は政治的人間ではない。政治的人間は「無かった人間」となる「役目」を承諾するものであるから、マリアは、それにより、「有った人間」として語り継がれていく。世界は政治的人間だけで構成されているわけではない マリアはイエスの復活を信じていないが、政治的人間にとって、復活は信じるとか信じないとかの問題ではない。それは実現しなければならない。この奇蹟こそが政治的人間たちによるパイル・プロジェクトのクライマックスとなる。 キリスト教を他のセム系の一神教と分かつのは、イエスの復活である。正教会は、最近まで、クリスマスではなく、復活祭の方を盛大に祝っている。福音書によれば、イエスはまさに死んだと思われた三日後に復活している。出エジプトを率いたモーセも、イスラムの預言者ムハンマドは復活してはいない。 泰淳は、この作品で、イエスをキリストにするのが復活の奇蹟だというキリスト教の核心を見抜いている。数多くのイエスをめぐる独自の聖書解釈に則った作品が創作されているが、キリスト教の本質が復活にかかわっているという点を認識しているものは必ずしも多いわけではない。 ダン・ブラウンは、『ダ・ヴィンチ・コード』において、イエスにはマグダラのマリアとの間に子供がいたという説を重要視しれている。カトリック教会がその後継者問題を隠蔽してきたと物語っている。しかし、キリスト教のメシアは、処女懐妊や神の子が象徴しているように、血縁幻想から無縁である。また、イエスの神性=人性の論争──「イエスは神なのか、それとも人間なのか」──も後継者問題と無縁ではないとされている。確かに、それは八度の亘る公会議における中心的議題であり、そこから単性論や両性論、単意論、三位一体が生まれている。公会議はコンセンサスではなく、多数決を意思決定の原理として採用し、正統=異端を争う場である。しかし、カトリック教会や東方正教会に敗れて追放された単性論は東方教会として、オリエント世界を見る限り、影響力は正統派以上である。政治的勝利が宗教的勝利に結びつくとは限らない。このように、後継者はキリスト教において本質的な問題ではなく、このベストセラーはイエスを口実としたミステリーにすぎない。 日本の文学においても、事情は同様である。太宰治虫は、ユダの悪が強ければ強いほど、イエスの善が光るという主旨の『駆け込み訴え』を書いている。しかし、この解釈はキリスト教と言うよりも、ゾロアスター教的である。「反キリスト」を自称するフリードリヒ・ニーチェがゾロアスター(ツァラトゥストラ)の口を借りて、善悪の彼岸や永遠回帰を語った意味をまったく理解していない。 キリスト教の核心に迫った作品の執筆には、ユダヤ教=キリスト教=イスラム教のセム系一神教とその諸宗派に関する理解もさることながら、ゾロアスター教などのオリエントの諸宗教についての知識も要求される。 武田泰淳がこのようなキリスト教の本質を把握しえていたのは、おそらく彼が僧侶だったからだろう。彼は仏教を自らの内面性の危機を救済するために選んだわけではない。本郷の檀家三〇〇軒を抱えた湖泉寺の住職の次男として生まれた彼は、宗教を組織として捉えている。キリスト教に限らず、数多くの宗教的作品が書かれてきたが、それらは「信仰」についてとり扱われていても、「宗教」とはあまり関係がない。 武田泰淳は、『私の中の地獄』において、宗教が語る地獄だけでなく、その宗教自身が堕ちている地獄があると次のように述べている。 地獄を知りつくすことはできない。地獄の地獄性は、それほどかぎりないものである。ここまでが地獄、これが地獄の本質と、簡単にとり出して見せることができるくらいなら、これは「地獄」とは言えない。宗教が解説する地獄ばかりではない。宗教そのものまでが落ちこんでいる地獄がある。 宗教は、信者の内面ではともかく、現実的には組織として運営されているのであり、信仰の問題だけに限定されない。この世を超越している教義を持っていたとしても、その宗教が組織体としてあるならば、社会的・時代的条件の下にある。 大江健三郎は、「性的人間」との対比によって、「政治的人間」を捉えている。性的人間が他者との対立を避けて同化し、絶対者とも同一化しようとする。一方、政治的人間は他者に対立し、その関係の中に生き、絶対者を拒否する。その上で、大江は政治を性の比喩をオ用いて語る。しかし、大江は組織の問題に十分に意識が届いていない。 イエスを復活させられるのは、もはや「おれ」しかいない。最高顧問間も、ユダも、それを託して、この世から去っている。 おれが誰の命令によってそんなばかばかしい「実行」をやっているのか。誰にもわかるはずはあるまい。最高顧問官殿どのか、裏切者ユダか,母マリアか,それともお前の意志がそうさせたのか,そんなこと判明したところで何の意味もありやしなかった。 政治的陰謀は、概して、思わぬ方向に進むものである。さまざまな人たちの思惑と偶然の出来事が重なり、「おれ」がイエスをメシアへとしたところで、顧問官やユダの計画通りにならないことは明白である。けれども、マリアは「おれ」に向かって「あなたのなさろうとしていることは、神様もなさろうとしていなさる」と言っているが、何ものかに促せられるように、「おれ」はイエスをキリストにするために動く。それが「おれ」の「役目」であるからだ。「おれ」も政治的人間、すなわち「無かった人間」となることに同意する。「おれ」にはイエスをメシアへと仕立て上げることが自分のアイデンティティとさえなっている。なるほど、それは手段を目的化する店頭である。しかし、「おれ」だけではない。すべてのアイデンティティがイエスをキリストとすることで確認される。 イエスを十字架にかけるのは、ローマ皇帝ではなく、総督ポンティウス・ピラトゥスでも、パリサイ派でも、サドカイ派でもなく、「神」であると「おれ」は考えている。「『神』と呼ばれるお前の『父親』が、お前を苦痛と死と栄光の高みへ連れ去るのを、もう一人の父親たるおれは、うつろに、うろたえながら、また他人ごとのごとく見守っていたのだった」。イエスには二人の父がいる。一人の父が彼を殺し、もう一人の父が復活させる。霊の父が彼を殺し、肉の父が復活させる。現世において、子は父殺しを行って、王となる。「おれ」によるイエスの復活は、確かに、父殺しの神話や伝統に対する一大転倒劇である。 「おれ」にはイエスがキリストでないことはわかっている。しかし、復活をやり遂げなければならない。駐ユダヤ属州ローマ軍の士官クラスであれば、イエスの遺体を安置した場所へも自由に入れる。しかも、その人物がよく似たイエスの父であるなら、彼が釘の傷痕をつけ、イエスのふりをして姿を見せれば、イエスが復活したと信者たちが思っても無理はない。これが泰淳による復活の真相である。 イエスよ、かくしてお前は復活した。そして神の子イエス・キリストとなられた。誰がそれを疑うことができようか。 イエスは復活することでキリストとなる。復活は奇蹟である。しかし、その復活さえも、実は、世界の内部に属している。武田泰淳は「キリスト」を否定しているのではない。復活はイエス自身だけでなく、時代的・社会的状況に加えて、最高顧問官や「おれ」、ユダ、マリア、ヨセフなどの思惑、偶発的な事件が絡み合い、それらを内包する世界の生成である。イエスはキリストとしてあったのではない。キリストにならしめられたのだ。 『わが子キリスト』は、ゴルゴダの丘へと十字架を背負って歩みを進めるイエスを見つめる「おれ」の独白から始まる。なぜイエスがこうなってしまったのかという必然性を遡って語る「ロマンス」であるかのように書き出されている。ロマンスはある出来事が起きるまでの物語である。始まりに終わりが提示され、そこに到達する目的で物語が展開される。終わり=目的の円環構造を有し、すべての要素はその必然性に奉仕しており、無駄・曖昧・剰余さは一切排除される。そのため、ノースロップ・フライの『批評の解剖』によると、「ロマンスは、あらゆる文学の形式の中で願望充足の夢にいちばん近いもの」である。登場人物たちは等身大と言うよりも、いささか超人的であることが多く、同時に、精神的に未熟で、作者の操り人形という印象がぬぐいきれない。しかし、『わが子キリスト』はイエスの刑死で終わらない。その復活の真相が開かされて幕を閉じる。この小説はロマンスを破綻させている。 さらに、武田泰淳は、注意深く、個々の出来事自体を記述することを避けている。イエスがゴルゴだの丘へと向かう道すがらを記しながら、刑死の瞬間を飛ばし、その後を物語る。通常、ドラマはあるきっかけによって出来事が生じ、発展してピークを迎え、静まっていく起伏の過程を有している。けれども、泰淳はそのピークに触れず、迂回する。それにより、作品は目的論的構造を持ち得ず、「願望充足の夢」から遠く離れてしまう。 この作品の政治的人間たちは歴史劇の中の「役目」を理解し、それを演じきろうとする。ところが、それは自分たちが望む物語の中の居場所ではない。登場人物たちがイエスをキリストとしたとしても、結局、歴史から見れば、彼らの願望は充足されていない。しかし、だからこそ、彼らは「無かった人間」たり得る。政治的人間の「役目」とはそういうものである。『わが子キリスト』はその一つの記録にほかならない。 〈了〉 参考文献 武田泰淳、『司馬遷─史記の世界』、講談社文庫、一九七二年 武田泰淳、『わが子キリスト』、講談社文芸文庫、二〇〇五年 『武田泰淳全集』全二一巻、筑摩書房、一九七一─八〇年 『日本の文学67』、中央公論社、一九六七年 『日本文学全集79』、集英社、一九六八年 『日本文学全集69』、河出書房新社、一九六九年 『現代の文学2』、講談社、一九七四年 『筑摩現代文学大系67』、筑摩書房、一九七五年 『昭和文学全集15』、小学館、一九八七年 『ちくま日本文学全集42』、筑摩書房、一九九二年 大江健三郎、『性的人間』、新潮文庫、一九六八年 小栗康平、『映画を見る眼』、日本放送出版協会、二〇〇五年 小滝透、『神の世界史 ユダヤ教』、河出書房新社、一九九八年 小滝透、『神の世界史 キリスト教』、河出書房新社、一九九八年 小滝透、『神の世界史 イスラム教』、河出書房新社、一九九八年 柄谷行人、『反文学論』、冬樹社、一九七九年 柄谷行人、『マルクスその可能性の中心』、講談社文庫、一九八五年 柄谷行人、『批評とポスト・モダン』、福武文庫、一九八九年 柄谷行人、『終焉をめぐって』、福武書店、一九九〇年 高橋正男、『死海文書』、講談社選書メチエ、一九九八年 高橋正男、『物語イスラエルの歴史』、中公新書、二〇〇八年 太宰治、『走れメロス』、新潮文庫、一九六七年 藤原帰一、『国際政治』、放送大学教育振興会、二〇〇七年 前田耕作、『宗祖ゾロアスター』、ちくま新書、一九九七年 村川堅太郎他、『ギリシア・ローマの盛衰』、講談社学術文庫。一九九三年 チャーレス・スズラックマン、『ユダヤ教』、中道久純訳、現代書館、二〇〇六年 フリードリヒ・ニーチェ、『 ツァラトゥストラはこう言った』上下、氷上英広訳、岩波文庫、一九六七─七〇年 ノースロップ・フライ、『批評の解剖』、 海老根宏他訳、法政大学出版局、一九八〇年 ダン・ブラウン、『ダ・ヴィンチ・コード』上下、越前敏弥訳、角川文庫、二〇〇六年 ジークムント・フロイト、『モーセと一神教』、渡辺哲夫訳、ちくま学芸文庫、二〇〇三年 共同訳聖書実行委員会、『聖書 新共同訳』、日本聖書協会、一九八七年 『コーラン』上中下、井筒敏彦訳、岩波文庫、一九五七─六四年 西オーストラリア州パースの旅と暮らし PetitCommerce、「アボリジニー オーストラリア先住諸民族について」 http://members.westnet.com.au/petitcommerce/aborigine.htm DVD『パッション』、東宝、二〇〇四年 DVD『裸足の1500マイル』、アット エンターテインメント、二〇〇五年 DVD『エンカルタ総合大百科2006』、マイクロソフト社、二〇〇六年 NHK、「こうしてベルリンの壁は崩壊した」前後編、『BSドキュメンタリー 証言でつづる現代史シリーズ』、二〇〇八年 |
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